【学生広報部】「鯉ひろまつ」三代目大将の廣松光さんにインタビュー
文 松本直樹
日経大学生広報部の松本直樹です。地元福岡の老舗企業取材として、「鯉ひろまつ」三代目大将の廣松光さん(25歳)をインタビューしました。
鯉ひろまつ大将の廣松さんと
サラリーマンを経験して、三代目大将へ
―老舗店の後継者不足が社会問題になっている中、廣松さんはどのような思いで三代目大将になったのですか。
福岡の大学に通っているときも、アルバイトで鯉ひろまつの仕事をしており、他の仕事もしてみたいと思っていました。当時は家業を継ぐことは考えてなかったので、外の仕事をしたくて就職しました。就職先で家業の魅力に気づき、1年間はサラリーマンをしましたが、社会人2年目のときにやめて、お店に戻りました。
「サラリーマンの1年間がなかったら、今の自分はない」と思います。今は仕事に対して120%で向き合っていますが、その1年間がなければ、80%、70%程度で働き、父(正道さん)から言われることに対しても身が入らない感じになっていたと思います。1年間ですが、社会に出て多くのことを学んだことによって、自分の中に向上心が芽生えました。
鯉料理に懸ける思い
―鯉料理を一度も食べたことがない人が多くいます。SNSを使って自分のお店と鯉料理を広めている廣松さんの思いとは?
友達に「鯉料理屋をやっている」と話したときに、鯉を食べることができることすら知らない人も多く、恥ずかしく感じたこともあります。「鰻屋をしている」と話すと皆反応がよいので、そう話すようにしていました。
でも、自分が家業を継ぐからには鯉料理の認知度を上げないと、「自分が50歳になったときに、鯉料理を食べる人がいないと会社自体がなくなる」と考えて、自分の性格が飲食店経営に向いていることも相まって、一生の仕事にしようと覚悟を決めました。
鯉の養殖について
―自社で鯉を養殖し、料理の提供も行う鯉ひろまつ。鯉の養殖には、どのような苦労がありますか。
一般的な養殖魚は1年間育てると、出荷サイズになりますが、鯉は2年かかります。生き物なので病気のリスクもあります。近年、「コイヘルペスウイルス病」が流行りました。中国や外国からニシキゴイを持ち込んだとき、それと一緒に病気も入ってきたといわれています。
徳川家康など、昔の人たちは鯉をよく食べていましたが、コイヘルペスウイルス病が流行ったことにより鯉の需要が下がり、鯉料理屋が大幅に減る一因にもなりました。対策として、抗体を付けさせた鯉を育てています。生き物なので、水温や病気の管理が一番大変です。
■鯉ひろまつ(有限会社広松養魚場)
廣松光さんの曽祖父が田んぼで米を育てる傍ら、鯉の稚魚を孵化させて販売し始めて100年。
会社を設立し鯉養殖を本格的に始めたのは祖父で80年になります。
福岡県筑紫野市塔原西2-18-8
飲食店11:00~20:00/火曜定休(祝日除く)
092-922-3457
インスタグラムにて情報発信中
ヤマメの塩焼きやすっぽん料理も提供しています。
取材を終えて
自分は人生で初めて鯉料理を食べたのですが、「鯉こく」が感動するぐらい美味しく、大将さんも明るい性格で、本当に楽しい取材になりました。「鯉料理の輝きを取り戻したい」という目標を掲げ、店舗経営に打ち込む廣松さん。鯉料理への愛情や仕事の熱意が伝わってきて、自分も心の底から没頭できるものを見つけたいと思いました。
(松本直樹)
鯉料理は人生で初めて食べましたが、想像していたよりとても美味しくて驚きました。中でも僕が一番好きだった料理は「鯉こく」です。鯉の身はほろほろ崩れてしまうほど柔らかくて、出汁がすごく効いていて無限に食べることができそうでした。また食べにいきたいと思います。(川原颯馬)
今回初めて鯉料理を食べました。川魚はクセが強いイメージがありましたが、臭みもなく、身が締まっていてとても美味しかったです。タレも酢味噌、辛子酢味噌、柚子胡椒などバリエーションが豊富で、どれも鯉の旨さを引き立てていました。(末次佑奈)